今週のお題
今週のお題「ゲーム」
私はソーシャルゲーム(以下、ソシャゲ)をやるのをやめました。
システムエンジニアやってた時代がありました。そのときは、ソシャゲしてました。
風邪引いててもそうでなくても、ソシャゲをしてました。
ただ、そのときにふと思いました。「あれ?(時間)無駄にしてんじゃね?」みたいな虚無感に襲われて、ソシャゲやめました。今はアーケードゲーム観戦とたまにゲーセン言って友達とアーケードゲームやるってスタイルをするのが板についてます。
そう、これってアーケードゲームを利用してコミュニケーションをとることが(自分の)したいことだなって分かった感じです。
例えば、アーケードゲーム観戦であれば、「あのゲームの試合見た?すごかったよね!あのプレイ!!」って感じで盛り上がれる仲間を作りたいです。今でもその気持ちはあって、どこかでやるかもしれません。(だけど、リアルでなくてもオンラインでできるんじゃないかと思ってます。AR、VRやMR使ってできるはず、いづれ探します。)
それでは!!
一年前の自分ブログより
一年前の記事です。当時、心理学について色々探っていた日々でした。まあめっちゃ悩んだ。
自己否定について、購読中のブログ👇から興味深いヒントを得ることができました。
この記事を見てて思ったのが、自分の良いところを肯定するって行為ね。
ん。自己否定というのをしている人には難易度高いなって印象を感じました。
言わば、自分のことを自分で否定してる(キライになってる)ってことだよね。
津留さんの考えてたことってのが、リアルとフィクションとは別に「自分が見てる」ってやつで。
リアルまたはフィクションで嫌なことがあったから、自己否定という檻に入るんだ。自己防衛と言っていい。で、その世界は「自分が見てる」ってこと。第二の自分の登場なのかな。
第二の自分が第一の自分を見てる。否定してる。
ただ考えてみてほしい。自分しか自分のことを否定してないんだ。他に誰もやってない。
それなら、解き方はそれを言葉にするんだ。「私を否定しているのは私だ」と唱えるんだ。ゆっくりと、「私を否定しているのは私だ」。
芸術とリキュール
禁断の酒。リキュールに詳しい方であれば、知っていることだと思います。
アブサンと呼ばれるのですが、ニガヨモギを使ったリキュールです。
20世紀初頭にニガヨモギから神経毒成分が発見されたため、代替原料としてアニスやリコリスを使ったパスティスと呼ばれるリキュールになった歴史があるお酒です。(アブサンは、現在、神経毒成分がWHOの定める基準以下という条件で製造が再開されています。)
ところで、アブサンは芸術家にも愛されていたという史実をご存知でしょうか。
オランダの画家ゴッホ、スペインの画家ピカソ、フランスの画家ロートレックやモネ、フランスの詩人ベルレーヌ、アメリカの小説家ヘミングウェイ等は、愛飲していたということでも有名です。
また、日本の文学作品でも登場しています。太宰治の『人間失格』には「飲み残した一杯のアブサン」という一節。芥川龍之介の『河童』には、主人公がアブサンとを大量に飲むシーンが記されています。アブサンが、喪失感や憂いのメタファーとして用いられていたようです。
心身に異常をきたすほど大量に飲み続けた芸術家もおり、自殺者も多く出ています。
もちろん、アブサンだけではなくお酒全般にも言えることですが、飲み過ぎは厳禁です。